たゆたう

愛を叫んだり考えたり悩んだり、のあいだでたゆたうように生きている

曇天

帰省するたびに、ああこのまちはきっともうゆるやかな退廃に向かうのだなとせつない気持ちになる。

 

実家は小学校のすぐ近くなのだが、小学校のグラウンドでも近所の公園でも、子どもの姿はほとんど見かけなかった。子どもだけではない、そもそも路上で人と会うことがほとんどなかった。会ったとしてもおじいちゃんおばあちゃんばかりで、同年代の人はさっぱり見かけない。

空き地も増えた。使わなくなった建物を取り壊すだけ取り壊して、とりあえず駐車場にしました、みたいな空き地。駐車場に作り変えられることすらなく、ただ雑草が生い茂っているだけのまっさらな土地になっているところもある。

商店街は老朽化したアーケードの屋根がすっかり取り払われて、もともとシャッターを閉めた店がずらりと並んでいた通りがますますがらんどうに見えた。テナント募集の看板も目につくが、それ以上にそんな看板すら掲げていないところだってたくさんあった。かろうじて生き残った店もお世辞にも手入れが行き届いているとは言えない外観で、色あせた店先のポスターも、錆びたトタン屋根もあちこちで見かけた。

数年前までドコモショップが入っていた建物も、ファミリーマートが入っていた建物ももうからっぽで、雨が壁を伝ったあとが白い壁に茶色く残っていてよけいにうら寂しく見えた。いつのまにかできていたキャバクラだけがやたらと新しくきらびやかで、小さい頃はここにおもちゃ屋さんがあって、ここでおばあちゃんにおジャ魔女どれみのおんぷちゃんのフィギュアを買ってもらったのにな、とかなしくなった。それほど通いつめていたわけでもないけれど、小さい頃の思い出が残っている場所がオトナの欲望に押しつぶされてなくなってしまったのがひどくいやだった。

国道沿いを車で走れば新しいイオンが賑わっていたが、一方で色あせてほとんど白くなってしまった看板をそのままにしている開店休業状態の店もたくさん見た。錆びたどころか朽ちたトタンの建物があちこちでほったらかしにされていた。このちいさな小屋はこのまま誰にも手をつけられることなくずっと朽ちたままここにあるんだろうなと思った。

祖父母の老いもはっきりと感じる。小さい頃私を単車のうしろに乗っけて買い物に連れて行ってくれていたおじいちゃんは、まだ元気ではあるものの、ゆっくりゆっくりとしか歩けなくなった。耳も遠くなったし、口数も減った。おばあちゃんはまだ明るくはつらつとしているがどんどん耳が遠くなってきていて、大声ではっきりしゃべらないと会話にならない。それがときどきストレスになるし、そう感じる自分がいやだ。


帰るたびにそんな現実を目の当たりにしてさみしくなる。もちろん地元は好きだけど、このままここにいたら私まで息が止まってしまうんじゃないかと思う。ここにいたら何もできないままに人生を終えてしまうような気が、なぜかする。そんな感情をふるさとに対して抱いてしまうようになった自分によけいにさみしさを覚える。

いま、大阪に戻る電車のなかでこれを書いている。まもなく終点ですというアナウンスを聞きながら、ごみごみとした大阪の街並みを車内から眺めながら、すこし安心している。