たゆたう

愛を叫んだり考えたり悩んだり、のあいだでたゆたうように生きている

わたしのQK元年

QuizKnockに出会ったのは2019年3月22日だった。

 

なぜこんなにもはっきりと覚えているかというと、その日大学同期と飲み会をして、そこで複数の友人からQuizKnockを布教されたからである。

そんなに言うなら、と帰ってすぐに1本動画を観て、関連動画欄に出ていて気になったタイトルのものを続けて観て、……気づけば4~5本は一気に観ていただろうか。

そんなこんなで翌日にはもうQuizKnockの虜になっていた。以来、QuizKnockの動画を観ていない日はたぶんほとんどないんじゃないかと思う。好きが高じて、夏にはQuizKnockLabの発売イベントに、年末には感謝祭に足を運びすらした。

 


なぜこんなにもQuizKnockが好きなのか、と問われれば、理由はたくさんある。

まず第一に面白い。単純に笑える要素がたくさんあるし、新しい学びもある。楽しく観られてしかも知識がつくって最高だ。

第二に、QuizKnockは常に前を向いて進み続けているからだ。人気が出てテレビ出演が増えても、彼らは決してゴールを見失わず愚直にコンセプトに沿った動画や記事を生み出しつづける。そうした真摯な姿勢を見るたびいつも、私も自信を持ちつつ謙虚さを失わずにまっすぐ歩んでいきたいと襟元を正している。

第三に、QuizKnockは過去の私を救うメッセージを発信しつづけてくれているからだ。

 

小学校のころ私は勉強が好きで、周りよりも得意だった。もちろん塾に行ったり学校の宿題をしたりするのを面倒くさいなと思うこともなくはなかったけれど、ドラえもんのまんが科学読み物やちびまる子ちゃんのまんがことわざ辞典をボロボロになるまで読んだり、漢検や英検をすすんで受けてみたりしていた。勉強が好きでおもしろいから、という内発的な動機だけではなく、周りにすごいと言われたいという外発的な動機も大きかったが(勉強ができるということに対して謎のプライドがあったので絶対に周りに負けたくなかった)、とにかく本を読むことや新しい知識を得ることは私にとってよろこびだった。

そんな私に対して付与されたレッテルは「ガリ勉」だった。別に人前であからさまにゴリゴリ勉強する姿を見せていたわけではないのだが、ちいさな田舎の小学校で、休み時間にみんなとドッジボールをすることよりも図書室にこもりひたすら本を読むことを好む子どもは「あの子は私たちと違うから」という目で見られるほかなかった。いじめられることこそなかったものの、周りから少し浮いている実感はなんとなくあった。

 

だから私は勉強なんて好きじゃないというふりをした。

塾に行っているのはお母さんに言われるからだし、宿題もなくなってほしい、というふりをした。

 

そうして私は中学校に進学した。中学校でも私は学年トップの成績で、やはりどこかで「勉強しかしてない子」という目で見られているんだろうなという感覚は残っていた。ありがたいことに仲のよい友人はそんな目で私を見ていなかったから嘘をつく必要はなくなったし、中3にもなれば純粋にリスペクトを向けてもらえるようになったが、「ガリ勉」と呼ばれて敬遠されること、周りから浮くことへの恐怖感はあった。

そんな日々を過ごしながらずっと疑問に思っていた。ピアノの上手い子も、サッカーの上手い子も素直にすごいねと言ってもらえるのに、どうして勉強ができる子はそう言ってもらえないのだろう。どうして私は勉強が楽しいと自信をもって言い切ることのしづらい環境にいなければならないんだろう。

 

そんな過去の私の問いへの答えというか、救いをQuizKnockがくれたのだ。

 

彼らは勉強は楽しいということを言葉にせずとも伝えてくれている。若い視聴者が「すごい」「こんな風になりたい」「自分も勉強しなきゃ」などとコメントしているのを見ると、そうでしょ、知識があるって楽しいんだよ、勉強って面白いんだよ、と言いたくなる。小学校のころの自分に、あなたは間違ってないよと言いたくなる。

いささかエゴイスティックな見かたかもしれないが、QuizKnockは間違いなく子どものころの私にエールを送ってくれているのだと思う。

 

そして彼らが学びの楽しさを発信してくれることは、私にとっては単なる過去の救済ではなく、未来への希望でもある。

東大生とかインテリとかクイズ王とか、そういうわかりやすい肩書きのある有名人が「学びは楽しい!」と発信してくれることの影響はとても大きい。もちろんこれまでもテレビではたくさんクイズ番組をやっていて、インテリ芸能人とくくられるひとたちがそこで活躍していた。でもそれはあくまでもテレビのなかでのことで、ちがう世界のできごとのようだった。

 

QuizKnockは少しちがう。それほど年齢の離れていない、学校での勉強や受験を頑張ってきたひとが、いつも持ち歩いているスマホの画面のなかから、勉強の価値を、なにより楽しさを教えてくれる。それも自慢や説教臭い言葉じゃなく、彼ら自身が学びを楽しんでいるところ、知識を持っていることを「すごい」と素直に褒めあっているところを見せるという方法で。俺たちすごいだろと威張るのではなく、こっちに来ると楽しいよ、一緒に行こう、と導こうとしてくれるところが好きだ。

 

人間のモチベーションについて分析した自己決定理論によれば、「あの人のようになりたい」と目標像を自己投影した状態において、モチベーションはかなり強く、持続性のあるものになるそうだ。QuizKnockの動画や記事に触れる子どもたちのなかには、きっとそんなモチベーションを強く抱いている子もいるだろう。

受験のための勉強だけでなく楽しみのための学びというあり方を示してくれるQuizKnockは、視聴者の学びに対する見方や態度を変えてくれるのではないだろうか。新しい学びのかたちを押しつけでなく自ら率先して「魅せて」くれるところが、私がQuizKnockが好きな所以だ。

彼らの発信する価値を自分のものにして、勉強を楽しみながら頑張ってくれる中高生が増えるといいな、と願ってやまない。